第1回「お秀茶屋」

峠の茶屋を想像していたら、実に本格的な田楽と出会えた

ニッポンの食堂と聞いて何を想像されるだろう。
なんとなく昭和なイメージや香りという回答が大多数を占めるのではないかと思う。ただこの昭和の意味はあくまで第二次世界大戦後である。ところが、昭和どころかすでに百年を超える歳月、ずっと存在してきた食堂が、例えば北海道だけでも20軒を上回ると聞いた。

百年というと、昭和~大正~明治の三つの時代を生き抜いてきた、言い換えれば愛され続けてきた実績と歴史、そしてなにより数奇な運命の積み重ね。単純に昭和の香りでは表現しきれない戦争や天災を経て、まさに遺産ともいうべき貴重な宝である。そんな、全国各地にあるニッポンの食堂を紹介する連載、第一回目は、会津若松の「お秀茶屋」を選んだ。

店名からして、すでに昭和以前のイメージが濃い。今の店主は16代目、オープンは江戸時代後期、延宝年間にさかのぼる。会津は、例えば、お江戸、京都、大坂などのように昔も今も大都市とはいえない。歴史的に名を遺す町ではあるけど、食堂となると話は別だ。

しかもその場所は、会津若松の駅前や市街地といった食堂が集まるところとも違う。事前の情報で「お秀茶屋」は、会津若松名物の「田楽」と共に地元の銘酒「末廣」を味わえると聞いて、会津若松駅から迷わずバスを利用した。20分ぐらい走ったか、その名も「奴郎ヶ前」なる、一度耳にしたら忘れないバス停で下車。見渡すと、幹線道路沿いではあるもののファミリーレストラン、パチンコパーラー等の大型店舗はまったく見当たらず、この辺りから山に入り東山温泉へと向かいますよ、みたいな風情。まさに、ポジション的には峠の茶屋といえよう。

飲食店密集地とは程遠いので、バスを降りて一瞬不安になった。ところが、歩き出すとすくに気づく炭の煙と香りに、間違いなく目的の店は近いと安堵する。

一見して田楽専門店と分かる大きな看板を見つけ外観の全貌を視野に入れると、過去は界隈のコンビニだったなと気づく。郵便ポスト、タバコ屋のマーク・・・。ガラッと開けて中に入るなり、辺りに漂う煙を発していた立派な炭火の囲炉裏。そして炭の前から一歩も動かないと決意した渋い風貌の店主と目が合う。よろずやなんて過去のもの、今は田楽一本だと言外に漂わせているようだ。

「お秀茶屋」のお秀とは、先々代のお名前と教えられた。それまで店名がなかったらしい。現在の店主は会津の町中で日本料理の修業をしていたが、実家の先代、つまりお秀さんの息子が体調を壊してあとを継いだ。

料理は基本的に田楽のみ。田楽以外にもう少しなにか食べたいわがままな客のため、何種類かの蕎麦が用意される。ここまで立派な囲炉裏と、毎日几帳面に炭をおこして得られる火力があれば、田楽以外のメニューを考えないのかと聞きたくなる。
答えはノーだった。田楽以外やるつもりはない。そして、今ある田楽のメニューも変更する予定はないときっぱり。それが名物たるゆえんだろう。強い意志と高いモチベーションに頭が下がった。

田楽は、餅、こんにゃく、厚揚げ、ニシン(秋は一部別メニューが変更)。
こんにゃくは炭で焼かないので、店主の前の炭は、その三品のみのためだけに存在している。そこに結集した集中力と炭火が引き出した旨味は、地元のほんのり甘い味噌と絡まり、悠久の時をさかのぼる。そこに追い打ちをかけるのが「末廣」である。
末廣こと末廣酒造も1850年創業。蔵元は代々猪之吉を襲名し現在7代目という。歴史があるだけではなく、過去に醸した酒を長年自らの蔵で貯蔵。古酒ブームの先駆けともなっている。

安易にタイムスリップしたとは書きたくない、店主の普遍的な田楽への思い。
そのストイックさ秘めたる情熱が多くのファンを呼び寄せるのか、店には中尾彬さん、山田洋次監督など著名人の写真やサイン、手塚治虫の直筆漫画もあった。
そんな輝かしい過去や実績はもろともせず、毎日毎日、炭をおこし田楽を焼き続ける。古来からのファストフードを現代に伝える職人としても魅力的だが、なによりおいしい田楽を作る料理人として、末永く不動の活躍を願っている。

SHOP INFORMATION
▶ 店名 お秀茶屋 (おひでちゃや)
▶ 住所 福島県会津若松市東山町石山天寧308
▶ 営業時間 10:00~夕方
ランチ営業、日曜営業
▶ 定休日 不定休
▶ TEL 0242-27-5100
※食随筆家 伊藤章良さんが出演している、BSフジ「ニッポン百年食堂」は2017年7月1日より再放送開始
http://www.bsfuji.tv/100nen/

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