古来日本で使われてきた素材が、ハンドメイド界で新素材としてブレーク中とか。本来の用途に役立つ特徴が手芸材料として役立ちそうだと着目したのは、倉敷にある織物の老舗でした。今回編集長アッキ―こと坂口明子が気になった髙田織物株式会社 代表取締役の髙田尚志氏に、取材陣が伺いました。
古くて新しい!?畳縁(たたみべり)でできた「ペンケース」
2023/10/12
髙田織物株式会社 代表取締役の髙田尚志氏
―畳縁(たたみべり)国内生産の約4割、シェアナンバーワンとのこと。畳縁について教えてください。
髙田 畳縁というのは、畳の長手方向についている織物です。畳のふちを守りつつ、畳同士の隙間を埋める役割があります。畳は様々な方向から踏まれて力がかかるので、畳と畳がぶつかり合う角はとても傷みやすいのです。
畳縁があると、畳が再利用しやすくなるという特長もあります。畳縁のない畳は畳床と畳表を直接のり付けするので畳表の貼り替えができませんし、傷みやすいので寿命は短く、廃棄の手間もかかります。畳は、畳床にい草で編んだ畳表をのせて両端に畳縁を当て、糸で縫い合わせてあり、リサイクルやリユースがしやすい構造なんですね。
畳のふちを守る織物、畳縁。
―畳縁製造を主とされる御社の成り立ちは?
髙田 曾祖父である髙田幸太郎が引網織物業組合の理事に名を連ねていた記録が最古なので、1892年の創業ということになっています。ですから、もう少し古くから織物業をやっていたのでしょうね。岡山県倉敷市の児島という地域では、古くから繊維産業が発達していましたから、一帯で織物業をしていたようです。
当時は、真田紐という、下駄の鼻緒などに使われる平たく細い紐や、帯地となる小倉織などを織っていました。しかし明治後半、大正の時代になると洋装文化が取り入れられるようになり、それら和装素材への需要が激減。同時に、それまでは高級品だった畳が一般家庭にも広く使われるようになり、そちらのニーズが増えてきたのです。主には北陸地方で織られていた畳縁を、細幅織物の設備を持っていた児島でも織るようになりました。
1923年の関東大震災では多くの住宅が被災し、復興に多くの畳縁が必要となったことで、児島の製品も出荷するようになりました。そこで品質を認めてもらったことが飛躍のきっかけになったようです。
第二次世界大戦中は軍需品を織っていて、当時代表だった祖父も戦争に行きました。終戦後、祖父の復帰が周囲に比べて5年ほど遅れたため、畳縁製造の再開も遅れてしまいました。躍進する同業他社さんと同じことをしては意味がないと、組合活動に力を入れ、小さなメーカー同士で力を合わせるようになったと聞いています。
そんな中、畳縁といえば黒や茶の無地が主流だった中、地元の機械メーカーさんと協同して、業界初の柄物を開発しました。これがとても好評で。祖父は意匠権などにこだわるタイプではなく、技術もオープンにする性質だったので、組合の皆さんと一緒に新しい商品づくりにどんどん挑戦しました。そうする中で、岡山県が、畳縁産地として花開くことになったのです。
従来黒や茶色の単色だった畳縁を、色とりどりのデザインに。
―畳縁生産のシェア日本一となられるまでの道のりは?
髙田 祖父は、父が27歳の時に病死。父が継いだ時の会社はといえば、赤字が続くような状況だったそうです。父は価格競争に転じるのではなく、いかに面白い商品を作り出すか、よそにない魅力的な商品開発を行うかに力を入れました。
しかし、畳縁は、エンドユーザーとの間に畳屋さんを挟むのが基本でした。奇抜な柄や豊富なカラーバリエーションも、「伝統にそぐわない」「い草の緑色と合わないのでは?」と受け入れてもらえないことも多くて……。
そこで、ハウスメーカーさんや工務店さん向けに営業することにしたのです。すると、これまでにない斬新な商品だと喜ばれ、エンドユーザーや、スペックの決定権を持つ方から、仕様の指定が入るようになりました。
万人受けする無難なデザインでない、お客様のことを想像しながら好みに合わせて作るものは、マッチすれば、お客様にとって最上の商品となり得るんですよね。それが付加価値となっていきました。
畳縁のデザイン1つで和室の印象を変えることができる。
他社さんもデザインの幅を広げられていく中、やはり価格競争でなく、お客様に楽しんでいただける新商品の開発や、業界全体が華やかになっていく取り組みを続けてまいりました。結果、畳縁のデザインは1,000種類を数えるようになっています。
豊富なデザインバリエーションは1,000種を超える。
―髙田社長のご入社、社長ご就任は?
髙田 大学を卒業後の2004年に入社。約10年の工場勤務に始まり、現場をいろいろ経験した後の2020年、代表を継ぎました。就任当時はコロナ禍で、決して良い状況ではありませんでした。
―畳縁生産にも影響が?
髙田 会食ができない、旅行ができない、インバウンドが見込めない環境でしたよね。大広間や畳の個室や小上がり席が使われない、旅館が稼働しないということで、畳のメンテナンスや買い替えの頻度がぐっと下がりました。
―どのような対策を?
髙田 実はそれ以前からすでに、いろいろな取り組みを始めていました。というのも、あまりにも畳縁への意識が低いことが残念で、畳の副資材でしかない畳縁の認知度をもっと上げたい、地位を向上させたい、そんな思いから、畳縁を、ハンドメイド資材として一般向けに直販することに踏み切りました。
―そのアイデアはどこから?
髙田 昔からうちの社員は、畳縁の端切れを使って自分の工具袋を作ったりしていました。倉敷児島という地域は、デニムや学生服の生産を始めた地であるなど繊維産業が盛んですから、畳縁を素材としてリリースして、地元の方に使ってもらうことにしました。すると、アイデアの効いたすばらしい作品をたくさん作ってくださったのです。
畳縁は、常に足元にあるものなので耐久性が求められますが、分厚くては畳が収まらないので、軽くてある程度薄くて丈夫です。折り目が付きやすく、布と違って端の処理がいらないという特徴もある。畳縁の幅は8センチが基本なので、計測や裁断の手間も基本不要。そこで、全国の手芸教室の先生、手芸本を出している出版社などにサンプルを送ったり、手芸のホビーショーや文具の展示会に出たりと、新しい取り組みを始めました。
―手ごたえは?
髙田 外国人を含め、皆さん畳というものはご存じなので、その縁についている織物ですよとお伝えするだけで「なるほど!」と理解が速い。例えば、東京にある岡山・鳥取の共同アンテナショップにもなんとか少しだけスペースをもらえることになったのですが、少しずつ認知されるようになり、最近では、販売個数1位というのが何年も続いているんですよ。
手芸の先生やコアなファンを中心に畳縁のコミュニティができたり、ワークショップが開かれたりと、少しずつ知られるようになりました。
そんな中訪れたコロナ禍。おうち時間を充実させるため、手芸用品へのニーズが高まりました。手のかかる端の処理やアイロンがけがいらない、直線縫いである程度のものができてしまう畳縁は、手芸ビギナーにも扱いやすい素材として受け入れられました。
それまで対面販売のみでしたが、ネット販売にも力を入れ、商談会や展示会のオンライン開催も行うようになってさらに知ってくれる人が増えました。手芸用新素材として表彰を受けたり、本を何冊か出させてもらったりしました。最近では台湾の雑誌のノベルティに使ってもらったご縁から、台湾の工場見学者がバスで来てくださったんですよ。
小物入れ、バッグ、アクセサリーなど幅広い作品を生み出す畳縁。
―この展開は想定内ですか?
髙田 いやもう、上出来だよねと社内でよく話しています。我々は、「伝統文化からポップカルチャーへ」をスローガンに掲げています。伝統を守るために新しい取り組みを始めたわけではなく、伝統をどんな形で次の世代につないでいくかというところを大切にしています。畳や畳縁といえば、おじいちゃんおばあちゃんの家や田舎にある和風なものという枠に収まらなくても良いと思うのです。
若い人も年配者も、男性も女性も、日本人も外国人も、かわいいから欲しい、機能的だから使いたい、そう感じられるような大衆文化、ポップカルチャーになったらいいな、と……。
そうはいっても、現状は売り上げの8割を建材として出荷する畳縁。なんですが、コロナ禍を乗り切る策だったり、高田織物のブランディングに一役買ったり、数字で測れないベネフィットも感じています。
社員のモチベーションアップの一助も担っているかな。建材としての畳縁は、畳屋さんだったりハウスメーカーだったり工務店だったりと、エンドユーザーの一歩手前にクライアントがいますが、手芸用品としての畳縁は、ECサイトでも店舗販売でも、直接お客様とやり取りができます。日頃は製造や検品を担当するスタッフがお客様からフィードバックを受けられます。建材ではできない色柄使いや他企業とのコラボレーションなど、デザインの冒険ができます。そういう意味では、社員の仕事の幅も大きく広がりましたね。
―素材としてだけでなく、畳縁を使った様々な商品を自社開発されていますね。
髙田 ご紹介するペンケースや小物入れは、畳縁を素材に転用しようというきっかけになった商品で、かなり昔からあります。ぱたんと折ってチャックをつけて直線縫いをするだけというシンプルな構造。軽くて丈夫、クタクタになるまで愛用いただく方がとても多いんですよ。工場見学に来た高校生が持っていて、この日のためでなくずっと前から使ってくれている姿を見ると嬉しいです。
マチのないシンプルな構造だが生地は二重になっており、
案外たくさん入って軽くて丈夫。
「Kojima beri(児島縁)」のタグがアクセント。
―商品展開含め、今後の展望は?
髙田 畳縁に関しては、社内では思いつかないような使い方を、多くの方が発見してSNS等で発信してくれています。8cm幅をデザイン的に組み合わせた大物もたくさんあります。中には、ミシンを使わずバッグを完成させる方法を確立された方もいるんですよ。
そうして、2025年には10人に1人が、畳縁にはたくさん種類があって色んな使われ方をしているよね、と知ってくれているといいなと思っています。どうやって調査するかはさておき(笑)、感覚的なところですね。
畳縁ファクトリーのブランドは「FLAT」。
本社敷地内等に実店舗を構える。
会社に関して言えば、倉敷という地方にあって、働きやすい環境だよねと言ってくれる社員が多くいます。自分自身、ものづくりの会社ですが、何を作るかよりどう作るかを大切にしていて、子育て中でも高齢者も活躍できる会社でありたいと思っています。
具体的には、残業0時間の継続とか、有給休暇は1時間から取得可能、子どもの行事には自分を含め参加できる仕組みなどです。従業員の人生は会社のためにあるのではなく、皆さんらしい人生、プライベートの充実のために会社を生かしてほしいというくらいの気持ちです。スタッフが気持ちよく作ったものはきっと喜んでもらえると、自信を持って世に送り出せます。
事業展開を織物に例えるなら、そういう社員が縦糸にあって、どういう横糸を打ち込んでいくか……新しい科学技術なのかもしれないし、福祉、宇宙産業、アニメーション、若い世代とのタイアップなど、可能性は無限です。躊躇したり身構えたりすることなく、常に新しいものを作っていくために柔軟でありたい。
細幅を織る技術をもつ我々は、その技術を、世に必要とされる生かし方を模索してマッチングさせていきたいと考えています。
―「伝統を守るのではなく最適な形で次世代につなぐ」との思いで、既成概念にとらわれることなく精力的な取り組みを継続。周囲との調和や労働環境の向上など、広い視点で伝統や物づくりと向き合う姿勢を感じる興味深いお話をありがとうございました!
「ペンケース / 八千代72」
価格:¥990(税込)
店名:FLATネットショップ(髙田織物)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
商品URL:https://flat-shop.net/products/detail/395
オンラインショップ:https://flat-shop.net/
※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。
<Guest’s profile>
髙田尚志(髙田織物株式会社 代表取締役)
1981年岡山県生まれ。2004年に慶應義塾大学環境情報学部卒業後、髙田織物へ入社。2020年に同社6代目の社長に就任。畳縁の普及と発展に精力的に取り組み、住環境やハンドメイドの材料として、畳縁の新たな可能性を広げる。女性の活躍にも注力し、同社は2020年に倉敷市男女共同参画推進事業所に認定される。2022年から児島商工会議所副会頭に就任。
<取材・文・撮影/植松由紀子 画像協力/髙田織物>