日本ワインの人気が年々高まる今、「他とは違うワイン」や「お客様が美味しく召し上がってくださるもの」をという想いで、ワインを造り続けるワイナリーがあります。長野県塩尻市の株式会社アルプスです。独自路線を突き進んで美味しいワインを造ることに加え、代表取締役社長の矢ヶ崎学氏が力を入れるのが、塩尻市をワインの街にすることです。
矢ヶ崎氏に自社ワインの開発秘話やワインへの想いをお聞きしました。
お客様に愛され喜ばれるワインを造り続けたい
2023/05/29
株式会社アルプス 代表取締役社長 矢ヶ崎学氏
-御社がワイン造りに力を入れるようになった沿革をお教えください。
矢ヶ崎 弊社は、1927(昭和2)年に「アルプス葡萄酒醸造所」として創業しました。当初はワイン造りをメインにしていたようですが、戦後、ワインの需要が低下し、徐々にぶどうジュースの生産にシフトしていったようです。
一方で、私は、特にワインの仕事に携わりたいと思ってはおらず、北海道大学の理学部を卒業し、就職する前にもう少し学びたい想いもあって、アメリカのオレゴン州の大学に留学しました。1980年代のことです。当時はアメリカでも、まだワイン消費量は少なく、お酒消費のメインはビールでした。けれど、私が留学したオレゴン州に隣接するワシントン州では、ぶどうの栽培やワイン生産が進んでおり、私も勉強する機会があったのです。
そして、1990年にアメリカから戻り、株式会社アルプスに入社しました。今でこそ、大手ナショナルブランドメーカーを除いた地方ワイナリーでは国内トップといわれるようになりましたが、その頃はまだ、当社の生産量の8割はぶどうジュース、残り2割をコンコードやナイアガラなど地元のぶどうで造るワインでした。
ワイン造りが本格化したのは矢ヶ崎様が入社されてから?
矢ヶ崎 ひとつには、私が入社した1990年に、それまでは規制のあったぶどう果汁の輸入が自由化されました。さらには、1990年代中ごろになると、フランス人はワインをよく飲むにも関わらず心臓病による死亡率が低いという、「フレンチパラドックス」なる考え方が世に広まり、にわかにワインブームがおとずれたのです。
当社でもジュースにしていたコンコードをワインにして販売したところ、思いもよらない反響をいただき、1994年頃から本格的にワイン生産にのりだしました。
自社農園で栽培する、コンコード(上)のぶどうの樹とナイアガラ(下)
-その後、ボルドーへ研修にも行かれたとか。
矢ヶ崎 2005年にソムリエ協会のツアーがあって、ボルドーへ視察に行きました。ワインブームから10年くらいたっていて、当社の製品も既に売れていた時期です。ただ、うちではヨーロッパのぶどう品種には力を入れていなかった。ですから、同行したソムリエさんたちは皆、当社のことを「コンコードで無添加のワインを造る生産者」と思っておられた。ワイン愛好者からすると、正統ではないイメージだったんですね。
これではいけないというか、やはり皆さんに知っていただけるフラッグシップワインを造らなければと思いました。その後、開発したのが、「ミュゼ・ドゥ・ヴァン」です。
-2013年に社長に就任され、手掛けられたことは?
矢ヶ崎 特別なことはありません。ただ、お客様が求めておられる商品を造り販売するのが、当社の役目だと思いました。ですから、ヨーロッパ系のぶどうやワイン造りに固執せず、オリジナリティもあってお客様のニーズに添う商品を造ってきたのです。
とはいえ、商品リストを見ていただくとわかりますが、コンコードもあればカベルネソーヴィニヨンもある。海外品をつかった商品もあるとラインナップは多彩です。
-お客様の需要に応えるなかでご苦労はありますか。
矢ヶ崎 商品づくりをするなかで、「これは売れるだろう」と思うものは意外とヒットしない。軽い気持ちで遊び心を入れて試作したもののほうが、案外、消費者の方に好まれる。考え抜いた商品であっても、こちらの意図が100%伝わるとは限らないのです。そこで思うのが、「自分たちの想いよりも、お客様の喜びや美味しさ」が大切だということです。
仕事の最大の喜びは、社員や業者さん、農家の方、消費者の皆さまなど、関わってくださる皆さまがいかに幸せになれるか。そのための苦労は惜しみません。
-売るための商品開発はどのようにされるのでしょう。
矢ヶ崎 新商品をリリースした後に、反応を見ることでしょうか。どのくらいの本数が売れるのかどのように売れるのか。その分析を重ねて、次につなぐ。仕事とは関係なく、買い物にいったりするなかで、世の中の流行など時流を感じ取り、それに合わせて商品開発をする。熟慮するというよりは、遊び心を加えたひらめきで造っていることのほうが多いかもしれません。
株式会社アルプスの自社農園
-自社農園の取り組みも矢ヶ崎様がはじめられた?
矢ヶ崎 長野県内の400件の農家さんと契約を結んでいます。けれど、そんななかでもメルローやシャルドネなど新しい品種を自分たちで栽培しようということになりました。メルローやシャルドネは、栽培が難しいぶどうで、自分たちで栽培管理しなければいけません。ところが、コンコード、ナイアガラを栽培出来る農家さんも少なくなり、とうとう自社農園で栽培するようになったのです。メルローなどの一般的な品種は、国内外のどこでも栽培しています。だからこそ、アルプスではブラッククイーンや善光寺竜眼のような昔から長野県で栽培されていた品種も手がけています。ただし、温暖化もあって、テロワールも徐々に変化しています。変わる環境に適応することも大切だと考えています。
ぶどうをプレスして、フレンチオークなど樽で熟成させる。
-ミュゼ・ドゥ・ヴァン信州プレミアムコンコードの開発秘話をお聞かせください。
矢ヶ崎 コンコードはそもそもジュース用で、ワインにするなら早飲みや甘口タイプにしてきました。コンコードは塩尻を代表するぶどうなので発想を変えて、コンコードで熟成タイプを造ってみようと思ったのです。フレンチオークの樽で数カ月寝かせたところ、思ったよりも評判がよかった。メルローなどヨーロッパ系のワインがお好きな方とコンコードワインラバーのちょうど間にあるワイン。短期間樽熟成させることで、樽香とぶつからないバランスのよいワインになりました。
-醸造するうえで、困難はありましたか。
矢ヶ崎 コンコードの特徴であるフルーティさを損なわないようにするにはどうしたらいいかと考えました。そこで、プレス方法を工夫することによって、コンコードのえぐみを少なくしてライトにしたんです。簡単に言うと、雑味や渋味がでないように軽めにプレスし、フレンチオークで熟成させる。
ぶどう自体はアメリカ系の品種ですから、アメリカンオークを使うことも考えました。けれど、それではざっくりして、エレガントさがなくなるのです。華やかでいて、トゲトゲしい感じにならないようにするには、やはりフレンチオークの樽が良かった。
従来のコンコードワインとの差別化が何より大切です。これまでとはどれほど違う味わいにできるかが工夫を重ねた部分でしょうか。
-ミュゼ・ドゥ・ヴァンというブランド名はどのように決められたのでしょう。
矢ヶ崎 実は、2005年のフランス研修中に訪れたパリのデパート「ギャラリー・ラファイエット」の名前の響きが気に入って、ワインのギャラリー「ヴァンズ・ギャラリー」という名前にしようと思ったのですが、この名前は大手メーカーのワインと似てしまうと指摘を受け、そこで考えたのが、ギャラリーではなくミュージアム(フランス語でミュゼ)という言葉を用いて、「ミュゼ・ドゥ・ヴァン(ワインの美術館)」というブランドが生まれました。
ミュゼ・ドゥ・ヴァン 信州プレミアムコンコードは、トマト系の料理によく合う
-どんなお料理と合いますか
矢ヶ崎 本来は、召し上がる方がトライアルされるのが一番だと思います。あえてお伝えするならば、トマトソース系の料理でしょうか。ドリアやミートソースのパスタ、ケチャップをかけたオムライスなども合う。コンコードのフレッシュな甘さがトマトソースと調和します。口当たりよく軽やかなので、スルスル飲めるかもしれません。今は、世界的に飲みやすいワインにシフトしているので、そういう意味では時流にあったワインでしょう。春から夏場にかけては、15度くらいに冷やして召し上がっていただきたい。
かしこまったワイングラスでなくても、好みのグラスで飲んでいただければ。
-今後のビジョンをお聞かせください。
矢ヶ崎 「塩尻市全体をワインの街にする」のが、今の私の目標です。塩尻市はワインをクローズアップしていますが、実情はぶどうを栽培する農家が減少しています。他のワイナリーさんや行政とも協力して、ブドウ畑を活性化させる取り組みなども試みたいと思っています。ワインツーリズムやワインセンターの設置なども企画し、「塩尻ワインシティー」と名乗れるようになれればと思います。
-ワインと塩尻市への愛を感じました。ありがとうございました。
「ミュゼ・ドゥ・ヴァン 信州プレミアムコンコード」
価格:¥1,593(税込)
店名:株式会社アルプス
電話:0263-52-1150(9:00~17:00 平日)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
商品URL:https://www.alpswine.com/products/wine/wine1/554391.html
オンラインショップ: https://www.alpswine.com/
※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。
<Guest’s profile>
矢ヶ崎学(株式会社アルプス 代表取締役社長)
1963(昭和38)年、塩尻市生まれ。北海道大学理学部生物化学科卒業後、アメリカのオレゴン州立大学などへ留学。90(平成2)年に株式会社アルプス入社。現在、代表取締役社長 兼 営業本部長を務める。
<文・撮影/中井シノブ MC/ 根井理紗子 画像提供/アルプス>