風情ある蔵造りの街並みが残る城下町・川越。今回、編集長アッキ―こと坂口明子が気になったのは、その川越で生まれたおせんべい「吾作割れせん」です。聞けば、「割れた」のではなく、「割った」おせんべいとのこと。なぜ?その理由を、製造元である宮坂米菓株式会社 代表取締役社長の宮坂博文氏に伺いました。
あるひと言から生まれた、360度美味しいおせんべい
2023/11/30
宮坂米菓株式会社 代表取締役社長の宮坂博文氏
―幼少期の宮坂社長はどのようなことに興味を持たれていたのでしょうか?
宮坂 弊社は1910年に曾祖父が創業したのですが、私は小さい頃は機械屋さん、電気屋さんになりたいと言っていたように思います。特に夢中になったのがアマチュア無線で、本を読んでは秋葉原で部品を買い、送受信機を作りました。その後、学校も理工系に進んだものですから、実は文系が苦手でして、そこは今、頼りになる工場長の力を借りています(笑)。
―会社を継ぐことを意識されたのはいつ頃からですか?
宮坂 大学時代でしょうか。そこに迷いはなく、卒業後、入社してまずは工場に入りました。そこで15年間。その後、営業を約15年間経験し、父の跡を継ぎました。
入社して間もない頃の宮坂社長。
―代表になって、大切にしていらっしゃることは?
宮坂 関わる皆が利益を得らえる商売を心がけることです。弊社だけが儲かるのではなく、原料店から販売店までが一つの流れで、うちはその一部であると考えています。
―工場担当の15年間、営業担当の15年間、それぞれでどんなことを得られたのでしょうか?
宮坂 商品の作り方をひと通りわかった上で営業へ出たので、問屋様や小売店様から、「こういう商品があったらいいなぁ」と言われるとすぐに、そのレシピが頭の中に浮かびました。もちろん突拍子もないことを言われると、これもまたその場で考え、「それは無理ですね…」と返すこともありました(笑)。
ただ、どんな提案もまずは聞くことを大切にしてきました。なぜなら、そこに意外と「おっ」と思うことが見つかるからです。自分では考え付かないけれど、弊社の営業担当や問屋様、お客様などから「こういうのはどう?」と言われた時、それがヒントになって、商品に生かされることがありました。
今、弊社の製品で一番売れている「吾作割れせん」も、工場の社員が「社長、この割れているところにタレが染みているのがすごくうまいんですよ!」と言うので、「じゃあ割ってみようか」というのが、生まれたきっかけになったのですよ。
割れたところにもしっかりとタレが染みている「吾作割れせん」。
―「吾作割れせん」は、いつ誕生したのですか?
宮坂 今から30年ほど前です。物価がもう少し安い頃で、せんべいはだいたい一袋150円というところでしたが、こだわって作りましたし、思い切って一袋300円としました。弊社の営業担当は、「こんな高いせんべい売れませんよ」と言っていたのですが、問屋さんに持って行くと、「これは売れる!」と太鼓判をいただきまして。その後、吾作シリーズという形で、醤油味やたまり醤油味、それから海苔を貼ったせんべいなども作り、売り上げを伸ばしました。ちなみに現在販売している「吾作割れせん」には、醤油味、たまり醤油味、胡麻せんの3種類が入っています。混ざり具合が袋ごとに若干異なるので、お客様は袋をじーっと見て、好きなおせんべいが多いものを購入されているようです(笑)。
「吾作」の名前は宮坂社長のご先祖様のお名前とのこと。
―それが今では大ヒット商品に。
宮坂 最初の頃は、同業者から不評でしたよ。「なんでわざわざせんべいを割っちゃうんだ」と。でもその後は皆さん、割れせんを作るようになりました。せんべいは丸いもの、四角いものであると考えをまず壊す。そうすると売れた。こだわりから脱することは大事なんです。
本当は「割りせん」としたかったのですが、先に商標登録があったもので、「割れせん」となりました。それでも売れましたので、今では誰も気にしてないのですけど、私だけは当時、「やだなぁ」と思っていたものです(笑)。
―吾作シリーズが売れた理由は他にもありますか?
宮坂 弊社の工場では、おせんべいを1日10トン焼いています。枚数でいうと約50万枚。川越市の人口が約35万人ですから、1人に1枚配っても余るほどです。ですが営業はたったの1人で、しかも15年くらいの間、「おせんべいを買ってください」という営業をしていません。なぜなら、商品たちが勝手に動いてくれるからです。原料にお金をかけますと、美味しいものができますね。そうすると、お客さんに支持されて売れ、小売店様が「うちも欲しい」となり、これまで営業せずともお取引先が増えていったのです。
―御社では、工場見学もされているのですね。
宮坂 私の父は次男坊で、共立女子大学の教授をしていたのですが、長男が亡くなり跡を継ぐことになりました。その時、自分が働いている場所を子どもたちにも見せたいと、近くの小中学校の学生たちに工場見学に来てもらっていました。
そして私が跡を継ぎ、工場を新設する際に、工場見学ゾーンを作りました。以前は見学をする方に、帽子を持ってきてくださいとかいろんなお願いをしていたのですが、新工場にはガラス張りの見学通路を作ったので、より気軽に工場見学ができるようになりました。
皆さん「ワーワー」言って、楽しんでおられていますよ。それに工場見学をして良かったことは、こちらも綺麗にしておかなくちゃならないことですね。工場はもちろん、スタッフの女性陣もちゃんとお化粧して仕事を頑張ってくれています。やっぱり見られる、ということはいい刺激になるようです(笑)。
子どもはもちろん、近年はSNSでも拡散され大人にも人気の工場見学。
―お客様からの反応はいかがですか?
宮坂 先週見学に来られた20歳代の方が、ハートのおせんべいの話題をSNSにアップしてくださって話題になりました。ハートのおせんべいというのは、弊社の遊び心で、全体の袋せんべいの2~3%くらいに、小さなハート型のおせんべいを忍ばせているのですが、それが若い方に好評で。コメントをいただいた際は弊社からも「お幸せに」と返事をしました。
―SNSにも積極的に取り組んでいらっしゃるのですね。
宮坂 待っているだけではダメですからね。些細なことですが発信しています。さっきは工場長が「社長は今、Zoom会議しています」と発信してくれていました(笑)。
―今後の展望についても教えてください。
宮坂 吾作に続く新製品をと思っていますが、考えようとすると駄目なんですよね。パッと頭の中に浮かんだ時に考えて作ったものが良かったりしますから。
また工場をはじめ、会社全体をさらに整えて、「私も勤めてみたい」と思っていただける会社にしていきたいですね。みんなが楽しく働ける会社へ。そうすると、僕も楽になりますから(笑)。そもそも私は、聖徳太子の「和をもって尊しとなす」という言葉が好きなのです。
そして、何に対しても、よしと思う時はやる。駄目なら返せばいいし、横へ曲がれば良いという考えで、これからもいろんなことに挑戦していこうと思っています。
―お話を伺いながら、宮坂社長が社員の方、取引先の方、そして消費者の方に向ける眼差しがとても温かく感じ、こちらまで笑顔になりました。これからも美味しいおせんべいをどんどん作り続けていただきたく思います。お話、ありがとうございました!
「吾作割れせん」のパッケージにはこんなメッセージが。
「吾作割れせん」(160g)
価格:¥237(税込)
店名:宮坂米菓売店、各スーパーマーケット、ドラッグストア、コンビニ
電話:049-234-0123(9:00~17:00)工場直売店、月吉町店
※吾作割れせんは、電話・FAX・郵便にてご注文頂けます。
定休日:土曜、日曜、祝日除く
商品URL:http://miyasakabeika.co.jp/annnai.html
オンラインショップ:https://takumiyahonten.com
※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。
<Guest’s profile>
宮坂博文(宮坂米菓株式会社 代表取締役社長)
1945年埼玉県生まれ。1969年に宮坂米菓株式会社へ入社。15年間工場にて勤務し、その後15年間営業を担当。1999年に同社4代目社長就任、現在に至る。
<文・撮影/鹿田吏子 MC/菊地美咲 画像協力/宮坂米菓>