今回、編集長のアッキーが注目したのは、北海道土産としても大人気な「き花」。旭川の厳しい寒さのなかで見られる、キラキラしたダイヤモンドダストを表現したガレットの食感と、北海道の雪にぴったりのホワイトチョコレートが絶品のお菓子です。開発されてから40年以上も愛され続けてきたお菓子の秘密について、株式会社壺屋総本店 代表取締役社長の村本暁宣氏に取材陣がお話を伺ってきました。
旭川のダイヤモンドダストのキラキラした風景と北海道の雪をイメージした「き花」
2024/04/19
株式会社壺屋総本店 代表取締役社長の村本暁宣氏
―壺屋総本店は代々村本家が社長をしているのでしょうか。
村本 私の祖父が創業し、祖父の長男が2代目社長、3男が3代目で私の父、そして2代目社長の長男が4代目、3代目の次男である私が5代目となります。
―子どもの頃から会社は身近な存在だったのですね。
村本 当時は両親2人とも働く家業的な考えが当たり前の時代だったため、母親は私を背負いながら売り場にいたそうです。その後も普通に工場で遊んでおり、売り場にきたお客様や職人にかわいがってもらってましたので会社は家のように馴染んでいました。
―子どもの頃から会社を継ごうと考えていたのでしょうか。
村本 小さい頃には継ぐ想いはありませんでした。兄が大学に進学する際に、父親が将来のことを聞いていたのですが、兄には継ぐ気がなかったことから自然と跡継ぎを意識していく事となりました。
―お父様の働く姿はどのような印象でしたか。
村本 ほぼ家にいない人でした。私は中学のころからアルバイトとして家の(会社)手伝いをしてお小遣いをもらっており、菓子の事をメディアで話している姿や売っている姿、工場で一緒に働いて人と会話をしている父親の姿は見ていましたが、私と父親との会話は多くはありませんでした。
―社長になってから仕事をするうえで大切にしていることは何でしょうか。
村本 3信条というものがあり『感謝』『熱心』『貢献』を大切にしています。総本店壺屋に入る前にお菓子の修行に入り、大学在学中から卒業してしばらくまで2軒のお菓子屋で働かせて頂きました。そこでお菓子屋の経営者として大切にすることや、実際の菓子製造の技術について学びました。お菓子を作るまでには原料を作っている生産者から、工場で働いてお菓子を作る人、それを販売する人など、多くの人が関わって商品ができています。そういったすべての人達に感謝する気持ちを教えていただきました。それらは今でもとても大切にしています。
―入社されてから転機となったことは?
村本 私が専務だった2013年、本店とは別にもう1店舗、路面店を持ちたいとしたときです。当時、本店とテナントとして入っている店とで20店舗ほどありました。店舗が身近にあることでお客様にとっても気軽な存在として感じていただき、何かあった時はいつでもご相談にいただけるようにしようという考えだったからです。
そのなかで、壺屋総本店として理念、考え方を発信していくような店が必要だと考えました。壺屋総本店の理念を社内のメンバーやお客様にも伝えていく「旗艦店」となる店舗への投資です。2011年頃から構想し2016年を目標に完成させようといろいろな人に知恵をいただきましたが、2年早まって2014年にオープンすることができました。店作りで迷うことも多くありましたが、壺屋総本店にとって必要なお金と時間の優先順位を考えれば考える程、実現達成のスピードが早くなるという成功体験を得ることができた事は財産の一つです。また、ブランドを発信していく店を作ったことも壺屋として大きな転機でした。
ブランドを発信していく旗艦店「き花の杜」
―「き花」を開発するきっかけについて教えてください。
村本 私も父から聞いた話ですが、北海道のお菓子屋は春・秋・冬は節句や生産物の旬、観光シーズンのため、工場の生産がフル稼働していましたが、夏場は午前中で仕事が終わるくらい暇でした。そこで、時間がかかっても生産効率が悪くても納得する新商品を作ろうと考えられたのが「き花」です。新商品を開発することになった1982年には六花亭のホワイトチョコレートが流行っており、白い恋人も大ブレイクしていた時代でした。雪のイメージとも似合うホワイトチョコレートは北海道によって市場が拡大していたころで、壺屋総本店でもホワイトチョコレートを使った観光土産お菓子を作ろうということになりました。
北海道の雪を思い出させるホワイトチョコレート。
―「き花」という名前はどのようにつけられたのでしょうか。
村本 旭川の冬に見られるダイヤモンドダストを指す「霧華(きばな)」という言葉をもとにつけられました。これは旭川第七師団参謀長を務めた歌人の齋藤劉氏が詠った言葉であり、開発の指揮を取っていた父が友人から教えてもらった詩歌に感銘を受けたことで、名前は「霧華」と決まりお菓子開発が進みました。
―北国の気象現象が由来のお菓子だったんですね。
村本 ダイヤモンドダストを食べたらどんな食感なのか、それを食べたときに思わず北海道の事を話したくなる。ワクワクする商品開発が進められました。当時は良いものはすぐに真似されるが、真似されては価値がなくなってしまうとも考えられていたため、真似できないくらい手間がかかる徹底的にこだわった製法を考えました。チョコレートとの相性がよく高級感があるアーモンドをメインに配合したガレットを開発。ザクザクとした食感がダイヤモンドダストのキラキラした風景にピッタリで、北海道の冬を表現するホワイトチョコレートとあわせて「き花」が出来上がりました。
チョコレートにぴったりのアーモンドをふんだんに使ったお菓子。
―「き花」はモンドセレクションを36年連続で金賞を受賞。日本一の最多受賞ですごいですね。
村本 「き花」は販売当時から人気だったのでたくさん作って売りたかったのですが、こだわりのため手間がかかり、夏などの時間がある時期しか作っていなかったそうです。当時は工場の立場が強かったようです。そこで、モンドセレクションに出品、受賞したことで工場にとっても勲章となり、製造に後ろ向きだった工場のやる気を引き出して年中作れるようになりました。
―一番こだわった点はやはり食感でしょうか。
村本 ダイヤモンドダストをイメージできる食感にはとにかくこだわっていました。アーモンドを荒めに砕くことで、もしダイヤモンドダストが食べれたらとしたらきっとこんな弾けるだろう、と食感作りをアーモンドで行いました。
―「き花」はどのような人に食べてもらいたい商品でしょうか。
村本 東京の人とかはダイヤモンドダストといっても、写真でもうまく映らないですし、どのようなものか分からないと思います。そこで、ダイヤモンドダストを見て感激した素晴らしさを土産話とする際に、この商品と一緒に伝えてほしいと思います。お菓子と土産話しと一緒に、お客様が笑顔で話しているシーンが私達が作りたいものなのです。
ダイヤモンドダストをイメージした「き花」はザクザクとした食感が特徴。
―今後の会社のビジョンについてお伺いできますでしょうか。
村本 「き花」をもっと多くの人に知ってもらいたいですし、「き花」から他のお菓子にも興味をもっていただきたいです。原料を吟味し製造から販売までやっている価値をどのように伝えていくのか、お菓子ができるまでこんなに多くの人が関わって、こだわっている事を伝えていく事が私達の使命であり、お菓子を通してお客様に寄り添っていく、幸せの象徴でもある「笑顔」の傍らに当社のお菓子がいつも寄り添っていたいですね。
チョコレートは全世界的に人気がある原料ですので伝える範囲は日本だけではありません。アーモンドの原産地でもあるアメリカでも、現在SDGsの農園作りを手がけているカカオの原産地でも、我々の手塩にかけたお菓子を食べてもらいたいです。まだまだ取り組みたい夢はたくさんありますが、当社のお菓子からたくさんの話の花を咲かせていただけるように、楽しんでいただけるように全社員一丸で頑張っていきます。
―本日は貴重なお話をありがとうございました。
「き花」(6個入 商品本体 直径約7cm)
価格:¥1,300(税込)
店名:壺屋総本店
電話:0120-42-7248(9:00~12:00、13:00~17:00 日曜除く)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
商品URL:https://tsuboya.net/products/kibana
オンラインショップ:https://tsuboya.net/collections/all
※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。
<Guest’s profile>
村本暁宣(株式会社壺屋総本店 代表取締役社長)
1973年北海道旭川生まれ。大学を卒業後、福島県や滋賀県での老舗菓子屋の修行を経て、地元旭川にて創業95周年を迎える五代目予定者として「壺屋総本店」に戻る。現在、代表取締役社長として製造・販売・企画・人事の総責任者を務める。北海道土産で有名な「き花」はモンドセレクションにおいて世界一長く受賞、最多金賞を受賞中。また、同商品は2021年アマゾンにて、チョコレート菓子ランキング全国1位を達成。持論である「考え方が変われば人生が変わる」を基に2020年社長交代。新型コロナウイルスによる業績悪化からV字回復。社長就任以来、過去最高業績達成など好業績を続けている。
公職
東京農業大学 生物産業学科 非常勤講師
北海道菓子工業組合理事・旭川支部支部長
旭川市PTA連合会 副会長
JPSA認定ベーシックプロスピーカー
ほか
<文・撮影/masa1018 MC/矢口優衣 画像協力/壺屋総本店>