あんこのやさしい甘さを味わえるおまんじゅうは、日本人にとって定番の和菓子です。ホッとひと息つきたいときやお茶を飲むときに、おいしいおまんじゅうがあると幸せな気持ちになりますよね。
今回、編集長アッキーが注目したのが、愛媛県の老舗「山田屋」の看板商品「山田屋まんじゅう」です。わずか22gの小さなおまんじゅうにどんなこだわりが詰まっているのか、株式会社山田屋の代表取締役社長を務める髙辻 元氏にお話を伺いました。
2024/05/29
あんこのやさしい甘さを味わえるおまんじゅうは、日本人にとって定番の和菓子です。ホッとひと息つきたいときやお茶を飲むときに、おいしいおまんじゅうがあると幸せな気持ちになりますよね。
今回、編集長アッキーが注目したのが、愛媛県の老舗「山田屋」の看板商品「山田屋まんじゅう」です。わずか22gの小さなおまんじゅうにどんなこだわりが詰まっているのか、株式会社山田屋の代表取締役社長を務める髙辻 元氏にお話を伺いました。
―会社の歴史を教えてください。
髙辻 創業は1867年、和暦でいうと慶応3年です。初代の髙辻源蔵が四国八十八カ所を巡るお遍路さんに一夜の宿を提供した際、お礼としてまんじゅうづくりを教わり、それが評判を得たことで店を開きました。創業地の近くに日本三大薬師のひとつである山田薬師があったことから、「山田の薬師如来が姿を変えてまんじゅうづくりを教えてくれたのではないか」と考え、屋号を山田屋にしたそうです。
その後、2代目の助三郎の時代には職人を40人ほど抱える和菓子屋になったといわれています。ただ、そのときに保証人の判子を押したことで一度つぶれかけました。うちのように歴史のある和菓子屋には古い道具が残っているものなのですが、すべて差し押さえられたらしく、現在はまったく残っていません。
髙辻 3代目となる小太郎は、戦後の砂糖が手に入らない時期を過ごしました。当時、ほかのお菓子屋さんは人工甘味料のサッカリンを代用品として使い、商売を続けていたそうです。しかし3代目は「サッカリンを使うのは山田屋まんじゅうではない」と、砂糖がないときにはまんじゅうを作りませんでした。まんじゅうに対する矜持や信念があったのだと思います。復興期には、内閣総理大臣を務めた吉田茂さんがうちのまんじゅうを非常に気に入ってくださいました。
4代目が私の両親です。朝から晩までまんじゅうを手作りして、子どもの私から見ても一生懸命に商売をしていました。こういった積み重ねがあったからこそ、今の山田屋があるのだと思います。
―5代目として後を継いだ経緯は?
髙辻 子どもの頃は、両親が365日働く姿を見て「継ぎたくないな」と思っていました。夜中に電話がかかってきても、「髙辻です」ではなく「山田屋です」と名乗る日常でしたから。継ぐのは絶対に無理だと思い、京都の大学に進学して卒業後は民間企業に勤めました。両親も4代目で店を閉めるつもりで「自分の人生だから、自分で決めなさい」と送り出してくれたことを覚えています。
しかしその後、事情があって退職し、愛媛に戻ることになりました。しばらく都会暮らしをしていたものですから、カルチャーギャップがありましたね。当時はとにかく、現状から抜け出したいという思いで毎日過ごしていました。
―苦悩があったのですね。
髙辻 ただ、継ぐことが決まってからは、「山田屋を日本一のまんじゅう屋にしよう」と腹を決め、まず東京の西麻布に店を出しました。その際、吉田茂さんが気に入っていたまんじゅうだということを新聞や雑誌が取り上げてくださり、多くの反響を呼んだことで全国の百貨店に商品を置かせていただけるようになったという経緯があります。
―今回ご紹介する「山田屋まんじゅう」について教えてください。
髙辻 「山田屋まんじゅう」は非常に薄い皮で包んでいるので、まんじゅうというよりも、ほとんどあんこ玉です。そのため、うちのあんこはどこにも負けないという自負があります。甘さはしっかりと感じられるのですが、後に残らないやさしい味で、溶けるような口どけを楽しんでいただけます。
よくあるまんじゅうですと、あんこを包む皮の割合が高く、多少あんこの味が変わってもあまり気になりません。しかし「山田屋まんじゅう」は、小豆の風味が少し変わっただけでストレートに味に出ます。もしも味が落ちれば、お客様は離れてしまうでしょう。そうならないように毎日、危機感を持って製造しています。
―これだけ皮が薄いと、作るのは大変なのではないでしょうか。
髙辻 両親の代は手作りしていましたが、私の代でメーカーに依頼して「包あん機」を開発し、機械化しました。今の薄さになったのは、ここ40年ほどのことです。
―機械でも変わらないおいしさを実現しているのですね。
髙辻 機械で作ることで味が全然違ってくるようであれば、機械化はやめて手作りで行こうと思っていました。幸いなことに、手作りと変わらないおいしさを実現できています。
―おすすめの食べ方は。
髙辻 おいしいお茶と味わっていただけたらと思います。当社のまんじゅうは、飲み物の邪魔をしません。お酒にもよく合うことから、私が東京で偶然入った店でウイスキーのアテとして出てきたことがあります。
―御社の長い歴史の中で変わらないことはありますか。
髙辻 ずっと「山田屋まんじゅう」のひと品で商ってきたものですから、お客様に召し上がっていただくにはおいしいものでなくてはいけないという信念があります。私も工場の人間も「味に到達点はない、日々その上を目指そう」という共有の認識を持ち、商売を続けています。
―今後の展望をお聞かせください。
髙辻 後を継ぐときに掲げた「日本一のまんじゅう屋になる」という思いは今でも変わっていません。「まんじゅうなら山田屋」と言われることを目指しています。全国展開をスタートした頃には、会社の指針として「日本一への5カ条」を作りました。「一つ、前向きな生き方、考え方がすべての第一歩である。一つ、何ごとにもチャレンジの精神、できません、諦めに発展なし。一つ、己からの発想が己の向上。一つ、今できることを後に延ばすな、チャンスを逃がすな。一つ、会社の利益は社員の幸せ、社会への貢献」というものです。社員にもこういった思いで仕事をしてもらいたいと考えています。
また、もっと若い方にも召し上がっていただきたいという思いもあります。そのためには新しい取り組みも必要になってくるでしょう。今後のことに関しては、息子の世代に託すつもりです。
―ありがとうございました。
「山田屋まんじゅう」(化粧箱6個入)
価格:¥972(税込)
店名:山田屋まんじゅうオンラインショップ
電話:0120-784-818(8:30~17:30 水曜除く)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
商品URL:https://shop.yamadayamanju.jp/c-item-detail?ic=MI-6
オンラインショップ:https://shop.yamadayamanju.jp/
※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。
<Guest’s profile>
髙辻 元(株式会社山田屋 代表取締役社長)
1955年愛媛県生まれ。大学卒業後自動車メーカーに勤務した後、1984年愛媛県宇和町に戻り稼業を継ぐ。1988年株式会社に組織変更。代表取締役社長に就任。翌年の1989年東京西麻布に店を開く。1990年に本社・工場を松山市に移転し、松山での初めての店舗となる松山店を開く。1991年髙島屋東京店へ出店。全国のデパートの販路拡大を開始する。
<文・撮影/坂見亜文子 MC/白水斗馬 画像協力/山田屋>