今回編集長アッキ―こと坂口明子が注目したのは宮城県登米(とめ)市で創業115年の醸造元・ヤマカノ醸造株式会社がつくる「登穀味噌」。明治42年(1909年)に創業、味噌や醤油、ブレンド調味料を手掛けている老舗でありながら、時代の流れにあった商品開発を行い、地元を象徴する「登穀味噌」を発売しました。その開発へのこだわりなどを代表取締役社長の鈴木彦衛氏に、取材陣が伺いました。
宮城県登米市の味噌を全国へ。地元にこだわって作った「登穀(とこく)味噌」
2024/06/17
ヤマカノ醸造株式会社 代表取締役社長の鈴木彦衛氏
―創業の経緯を教えてください。
鈴木 今から300年以上前、ここ登米町で「鈴彦商店」という名で両替商や絹の反物を扱う商店をやっていました。明治の終わり頃、隣町の麹屋からお嫁さんが嫁いできたことをきっかけに、味噌醤油事業を始めたそうです。そこから数えて味噌醤油事業については私が5代目になります。
ヤマカノ醸造株式会社外観。
―老舗を継がれるのは決まっていたのですね。
鈴木 幼少の頃父に抱っこされ「この工場は今は俺のものだけど、将来はおまえのもの」と唱えられていて、自分もなんとなく跡を継ぐのかなと思っていました。中学高校は大阪の全寮制の学校へ通い、大学は東京農業大学の醸造学科に進学しました。そこには味噌醤油と酒造屋さんの2世、社長の息子さんや娘さんたちが集まっていて、ここで学んだことが将来何か役に立つのかなと思いながら生活していました。
卒業後は味の素株式会社に入社し、東京支店で5年間営業の修業をさせていただきました。正直、仕事に押しつぶされてしまうような瞬間は何度もありましたが、販売システムや流通の仕組みを学びたいという思いがありましたし、先輩や同僚に支えられながら頑張っておりました。
仕事だけでなく、人生における心構えを教えてくださる先輩がたくさんいらっしゃって、当時の仲間たちとは未だにお付き合いをさせていただいており感謝の気持ちでおります。
―その後、家業を継ぐことになります。
鈴木 私の父が社長だった昭和60年代は、世界中で照り焼きソースが流行っていました。その時にウチがたまたま取引先から「醤油をベースにした照り焼きソースを作ってほしい」とご依頼をいただいて、そこからブレンド調味料製造販売事業がスタートしました。そのおかげで、今は味噌醤油製造と同時に、ブレンド調味料の製造販売もやっております。
私が社長業を引き継いだのは平成12年で、その頃は弊社が作っている生産量の7割程は味噌醤油、残り3割が味噌と醤油をベースにしたブレンド調味料でした。
ところが、令和6年の現在はその製造割合が逆転、味噌醤油をベースにした調味料ブレンド事業がメインとなっています。例えば、味噌醤油をベースにしたハンバーグのデミグラスソースや、ラーメンスープ、サバ味噌のタレなどを作っています。宮城県は畜産業者さんや、水産加工業者さんが多数いらっしゃるので、そういったお客様方に商品開発のご依頼をいただいております。
その昔、味噌醤油が必需品だったのが、今現在は原料になったという“時代の流れ”を感じています。ちなみに全国には味噌醤油屋業者の数は、今現在800社弱程と言われています。
―企業として大切にしていることは?
鈴木 次の“100年”を目指し、発展し続けていくために、新しい技術をどんどん導入し、もの作りに活かしていく考えでおります。
一方、創業者の初志である味噌と醤油の製造販売が原点のため、仮に作る量や売上が下がっても、お客様方から「お宅の味噌汁は最高だね」と継続的に言っていただける様な、お味噌やお醤油を作り続けていきたいと考えております。その思いで開発されたのが、「登穀(とこく)味噌」なのです。
―「登穀味噌」の特徴は?
鈴木 約25年前の開発当時、弊社の若手社員を5~6人集めたプロジェクトで、“次世代に向けての新製品を作ろう”ということで開発されたのが「登穀味噌」です。
トレーサビリティ(その製品がいつ、どこで、誰によって作られたのか)を意識しており、地元で採れた原料を使い、地元の醸造元が作ったことを明確に示しています。米と大豆は品種も絞っており、お米はササニシキ、大豆はタチナガハという品種を使っています。
登米市は“米どころ”、“大豆どころ”なので、それを象徴するような新商品を作りたいと思っていました。登米市の農業法人と手を組み、「登米市の魂と思って作りましょう」と言って商品開発が始まりました。その後、私が社長業を引き継いだ年に販売を開始することができました。
「登穀味噌」開発にかかわった地元農家の皆さん。
―開発中、困難だったことは?
鈴木 開発途中から、社内外で商品の開発コンセプトについて深く理解を得ることにとても時間を要しました。「登穀味噌」の開発前は、地元のスーパーさんに、買いやすい低価格の味噌や醤油を多く卸していましたが、会社を将来に向けて運営する上で、低価格で勝負を続けるのは困難なので、品質重視で原料や製造工程にこだわった味噌を作りたかったのです。
―製造工程ではどんなこだわりが?
鈴木 通常の仙台味噌は大豆を石臼の要領で擦り合わせて、ヘソ部分のゴミ等5%程を削って使用していますが、「登穀味噌」製造段階では、大豆の皮を“全粒脱皮”し約20%を削ります。大豆の旨味成分が多い真ん中部分のみを使用します。
大豆の20%を捨ててしまうので、メーカーとしては歩留まりが良くないため、当初私は気乗りがしないでおりましたが、出来上がった「登穀味噌」を食べていただいたお客様方から多数のご好評をいただきました。
色は信州味噌に近いが、味は濃い、こだわりの「登穀味噌」。
鈴木 通常はお味噌汁をよそってからしばらくすると、お椀の中で分離してしまうことが多いのですが、登穀味噌は分離しづらく、味噌溶けも良い。
モニター調査でもそのような反応を多くいただけたので、原料の“全粒脱皮”は続けていこうと思いました。
―他のお味噌とは味や食感でどう違いますか?
鈴木 わかりやすく、信州味噌と特徴を比較したいと思います。仙台味噌、信州味噌のいずれも、米麹味噌と言われていますが、大きくは作り方が違っております。仙台味噌の方が大豆に対する米麹の割合が少なめで、塩分は少々高め、発酵期間は長めなので、仙台味噌は色合いが赤く冴えた感じで、味もコクがあり濃い目に感じます。お好みで微調整いただくと、より美味しくいただけます。
一方、信州味噌は大豆を煮てから煮汁をあえて捨てることで、食する時にあっさり美味しく召し上がることができますが、仙台味噌の場合は大豆を圧力鍋で蒸してから、煮汁も含めて全てを使って味噌を作ります。これはイソフラボンの量も多く含まれています。
「登穀味噌」は通常の仙台味噌より発酵期間が短めで、見た目は信州味噌に近いですが、つくり方は仙台味噌のため、発酵度合いが深くてコクがあります。少量で味付けできるので、一度に使う量も抑えられ、コストパフォーマンスもいいと思います。
色合いは一般的な味噌とあまり変わらないが、味は濃いめで深みがある。
―「登穀味噌」のおすすめの食べ方は?
鈴木 具沢山のおかず味噌汁で召し上がると最高だと思います。特に、宮城の郷土料理である芋煮はおいしく出来上がります。
「登穀味噌」の濃厚な味わいは、具沢山の味噌汁にぴったり。
全国で毎日のお味噌汁にぜひ、使ってほしいと開発。
鈴木 発酵度合いが深いので、もろきゅうにぴったりです。夏の食欲がないときも、もろきゅうなら塩分もとれますし、元気になると思います。夏はもろきゅう、冬は芋煮汁がおすすめです。
味に深みがあり、きゅうりとの相性も抜群。
―今後の展望を教えてください。
鈴木 現在、「登穀味噌」は宮城県内で約130店舗のスーパーで販売されており、お客様にご愛顧いただいております。返品はほぼゼロ、価格も安く売られることは一切ありません。なので、今後は「登穀味噌」に続く新商品の開発をしていきたいと思います。
具体的には、地元の農産物を使った商品開発に積極的に取り組みたいと考えております。現在、登米産のにんにくを使った「にんにく味噌」を開発しました。カレー味、トマトラー油味、にんにく味の3種類を用意しており、すでに販売しているのですが、ご好評につき、発売後すぐに売り切れてしまいました。ヒットの兆しが感じられる商品なので、今後力を入れていきたいと思います。一人でも多くのお客様に、登米市の農産物の魅力を知っていただきたいですね。
―貴重なお話をありがとうございました!
「登穀味噌」(500g袋入り)
価格:¥621(税込)
店名:ヤマカノオンライン
電話:0220-52-2511(9:00~17:00土日、祝日を除く)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
商品URL:https://yamakano.biz/item-detail/228937
オンラインショップ:https://yamakano.biz/
※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。
<Guest’s profile>
鈴木彦衛(ヤマカノ醸造株式会社 代表取締役社長)
1968年生まれ。1990年東京農業大学醸造学科卒業後、味の素株式会社に入社。1995年に同社を退社し、ヤマカノ醸造株式会社に入社。2000年に代表取締役社長就任。2021年には宮城県味噌醤油工業協同組合理事長就任。
<文・撮影/サカモトアヤ MC/矢口優衣 画像協力/ヤマカノ醸造>