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諏訪の澄んだ空気と清冽な水が育む、山廃純米大吟醸酒で豊かな食卓を

2024/10/10

お料理に合う極上のお酒を飲みたいと思ったアッキーこと坂口明子編集長。選んだのは長野県諏訪の真澄蔵元・宮坂醸造の純米大吟醸酒「七號」。江戸期から続く蔵元の、グローバル戦略をも視野に入れた酒造りへの思いを、宮坂醸造株式会社代表取締役の宮坂直孝さんに取材スタッフがうかがいました。

社長
宮坂醸造株式会社 代表取締役 宮坂直孝氏

―江戸初期の武士が酒造りを始めたのが源流だと伺いました。

宮坂 祖先は戦国時代までこの地を治めていた諏訪家の家臣です。しかし、武田家や織田家との戦乱に翻弄され、刀を置いて酒屋になりました。創業は1662年です。酒屋を起こすぐらいですから才覚があったのでしょう、当初は諏訪のお城の出入り商人として羽振りがよかったらしいのですが、明治時代の末ぐらいには事業を続けることが難しくなったと聞いています。

大正期になって私の祖父にあたる宮坂勝が若くして跡を継ぎました。継ぐことになって大福帳を開いてみると、まったく経営が成り立っていない。これは廃業しかないと親戚筋に提案したのですが、やはり歴史の古い酒屋ですので廃業は避けたいということで、祖父が苦しみながらも立て直しを図ることになります。

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真澄は南アルプス山系の伏流水など信州の豊かな気候の中で造られる。

―ご祖父様はどんなふうに立て直しを図ったのでしょうか。

宮坂 祖父は当時20歳そこそこでした。気の合う、これも20代だった杜氏の窪田千里さんと2人で全国の蔵元を回って酒造りや商売のやり方など、教えを請うたそうです。本来、酒屋同士はライバルのはずですが、皆さん、親身になって教えてくださったそうですよ。それを持ち帰って少しずつ改革していきました。つまり、当社は江戸時代から悠々と栄えてきた老舗ではなく、ここ100年ほど、私の祖父、父が同業の酒蔵さんや社員さんたちに支えられてどうにか続いてきた蔵元だと言えます。

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酒蔵の一角には七号酵母誕生の記念プレートがある。

―その努力が実を結んだのですね。

宮坂 1943年に「日本清酒鑑評会」で第1位を獲得しました。この鑑評会は良いお酒を造るために1904年に設立された醸造試験場(現・独立法人酒類総合研究所)という国の研究機関が行っている品評会です。

真澄は何度か一等賞をいただいているので、ここの蔵には良い酵母が住んでいるにちがいないということで採取に見えました。その結果、1946年に発見された真澄酵母は、7番目に認定された優良酵母ということで「協会酵母7号」と名づけられ、今でも全国の酒蔵に頒布されています。

―その後、富士見蔵を造られたのですね。

宮坂 1982年に私の父が富士見蔵を造りました。新しい蔵を造って品質を向上させながら量的なものも確保したかったのだと思います。多くのお客様にお届けすることができるようになって、また真澄の名前が広がったということはあったと思います。

―お祖父様、お父様から学んだことは何ですか。

宮坂 先ほども申し上げたようにうちは綱渡りをしてきた酒屋ですから、伊達や酔狂で酒造りをしてきたのではなく、生き死にをかけて祖父は品質を磨いたと思います。その姿をうちの親父は見ていましたし、我々も小さい頃からずっと見たり聞いたりしてきてるんですよ。原料米にしても設備にしてもかなり一流にこだわる。そういうことがお客様の信用を得ることになるということを学びました。

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酒造メーカーでは先駆的だった真澄の蔵元ショップ「Cella MASUMI」。

―一流を選ぶ眼が老舗の証といえるのですね。

宮坂 その後、私が入社して10年経つころにワイン、ビール、ウイスキーの消費が上がってきて日本酒はダウントレンドに入っていきました。じゃあどうする?ということで試行錯誤の日々が始まりました。

1995年のことです。友人に誘われて初めてフランスのボルドー地方とブルゴーニュ地方の小さなワインメーカーを2週間くらいかけて回ったのですが、この旅行が私にとってのエポックメイキングになりました。フランスのワイン醸造所は、厳しい競争のなかで品質の見直しをし、消費者が産地を訪ねるワインツーリズムに取り組み、そして海外への輸出に力を入れていました。私はこの姿にとても共鳴して、当社でもこの3つに力を入れようと決めました。商品全般の作り直しと新製品の開発をしました。ツーリズムについては酒蔵を訪ねていただくために蔵の一角に蔵元ショップ「Cella MASUMI」を開きました。これが1997年ですから業界の中では新しかったですし、輸出も1999年にフランスの国際展示会への出展を皮切りに始めているので地酒蔵としては早かったと思います。

今では世界各国の様々なレストランが真澄をメニューに加えて下さっています。また、冬になると生産現場を確かめたいということで、世界から多くの方々が酒蔵を訪れてくれています。

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盃に映り込む1枚の蔦の葉をイメージしたボトルデザイン。蔦は宮坂家の家紋から採った。

―蔵元ショップで日本酒に親しみを感じた方は多いと思います。

宮坂 1990年以降、フルーティな香りの日本酒がもてはやされ、当社もその傾向に沿った製品を造った時期がありました。そこへ、入社してきた私の長男が先ほど述べた「7号酵母での酒造りに回帰しよう」と言い出しまして、社内には異論もありましたが、2019年に7号酵母のみでの酒造りを決断しました。この酵母は本来香りを造り出せないので、原点は正しいことを考えての決断でした。帰るべき原点があることはありがたいことだと思います。そして、実際に7号酵母で造ったお酒を売ってみると、思った以上に売れました。お客様がついてきてくださったのです。本当にありがたかったです。

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「山廃純米大吟醸 七號」は冷酒でも燗でも深い味わいと香りを楽しむことができる。

―今回、ご紹介いただく「山廃純米大吟醸 七號」についてご紹介いただけますか。

宮坂 金紋錦という希少な長野県産米を使っています。精米歩合は40%、山廃仕込みという伝統的で手間のかかる仕込み法で造っています。長野県産米を使って7号酵母で大吟醸を造ろうとするなら、昔ながらの山廃仕込みで造るのが適していると思ったのです。「山廃純米大吟醸 七號」は私たちが生きる信州の風土を表現したお酒で、これぞ真澄といえる一本です。

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真澄が目指すのは、食卓を和ませる食中酒だ。

―このお酒はどんなお料理に合いますか?

宮坂 「うまい食中酒を造れ」と祖父はずっと言っていました。真澄が目指しているのは宴席の場で酌み交わされる酒というよりはむしろ、家庭で日常の食事をおいしくする酒です。

とはいえ、我々の食事もいつも和食ではないですよね。わが家の食卓も冬は鍋料理が多いですが、ハンバーグの日もあれば、とんかつの日もありパスタの日もありますね。そんな今の日本人の食事に合った酒が食中酒です。真澄はそんな食事を引き立てる酒造りを今後も目指し続けます。

―いいお話をたくさん伺えました。御社の今後の目標をお聞かせください。

宮坂 さきほどの3つは今後もやっていきます。まず、絶えず商品を磨き続けます。商品とは酒の品質だけでなくボトルデザインなども含めた全体像です。また、酒ツーリズムの拠点としての酒蔵ショップも洗練し続けます。ここでお客様から直接伺うお声は、厳しいご意見も含めて私にとっては貴重な情報です。

現在、当社の輸出は売上の15%ほどを占めています。売上も大事ですが、当社の社員が海外に出て行って、情報を得て来ることが重要だと考えています。たとえば、社員にはヨーロッパのワインメーカーが厳しい国際競争を戦っているのを見てきてほしいと伝えています。日本酒が世界の中でガラパゴス化してはいけません。世界中を飛び回っていろんな情報を集めて、そのことで商品のブランディング戦略を磨き直して、それによって国内市場を活性化していけたらいいと思っています。

―本日は有益なお話をいただきありがとうございました。

商品

「山廃純米大吟醸 七號(箱なし)」
価格:720ml ¥6,600(税込)
店名:MASUMI ONLINE SHOP
電話:0266-52-6161
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
商品URL:https://www.masumi.co.jp/product/nanago/
オンラインショップ:https://www.masumi.jp/

※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。
変更もしくは販売が終了していることもあります。

<Guest’s profile>
宮坂直孝(真澄蔵元・宮坂醸造株式会社 代表取締役)
1956年長野県諏訪市生まれ。慶應義塾大学商学部卒。米国ワシントン州ゴンザガ大学にてMBA取得。
2004年に香港に子会社を設立するなど積極的に海外展開を進める。2022年長野県酒造組合会長に就任、長野県の酒蔵のイメージアップに取り組んでいる。

<文・撮影/今津朋子 MC/三好彩子 画像協力/宮坂醸造>

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